これから書く内容は、仕事場でバリバリ活躍することがご自身の真の喜びである方にはあまり参考にならないことをお断りしておきます。
私のように、派遣社員のような立場でもつい頑張り過ぎて、不満が多くなって、それでもそういう働き方を止められない方へ向けて、今回職場の上長の方と面談した気づきをシェアしたいと思います。
これまでもブログでよく書いてきたことですが、私は働きすぎる、頑張りすぎる傾向があり、それが段々と苦しくなるパターンを繰り返してきました。
自分の仕事上での癖というか、周りの方の期待を先回りして実行するうちに、派遣社員なのに本来社員の方がやるべきことまで背負いすぎて、それでも自分に鞭打って働くことを自分に強いているようなところがあります。
それなら正社員を目指せばよいのにそうしていないのは様々な理由がありますが、私がなぜ働きすぎてしまうのか、主に2つの理由があるのではないかと考えています。
1つは、境界線の問題。私は派遣社員だから、派遣社員として指示された仕事を必要な範囲内でこなせばよいのです。
指示された仕事以上に、または、周りの社員の方と同じくらい働くことでありがたく思っていただくことがあっても、本来派遣社員とは、仕事ぶりを派遣先で評価してもらえる立場ではなく、たくさん働いたからといって、給料が上がるとか、直接雇用されるなどの保証はないのです。
だから、こんなにやっているのに評価されない、お給料に反映されない、と思っていても、シビアに考えればそういうもので、それに納得がいかなかったら派遣社員以外の働き方をしなければいけないのですが、私は自分の中で派遣社員と正社員との区別ができていませんでした。
もう1つの理由は、責任感や、職場の色々なことを改善したいという気持ち以上に、私は仕事をすることで周りの方に認められたいと思っているのです。
それはたぶんお給料以外のことで、仕事ぶりを認めていただくことで自分の価値を上げようとしているのです。
逆に言うと、ちゃんと仕事していなかったら、(この場合のちゃんと、とは、自分が思うちゃんとした仕事ぶりを指します)自分の価値はないし、そのままでお金をいただくと罪悪感を感じると思っているのです。
こういう考え方を潜在意識下で長い間持っていたため、私はこれまで派遣社員の立場でありながら、ものすごく過酷な労働を強いられる環境に自ら飛び込み、ただひたすら働くという働き方を続けてきました。
けれども、こんな働き方をするのは本来の喜びではないため、ただ不満を持ったり疲れ切っているだけでした。
転機となったのは、2年前にキネシオロジーのHuman blueprintのコースで、こういう働き方をしてしまうのは、働きすぎてからだを壊して亡くなった曽祖父のパターンに由来するのではないかと気づいたことです。
コースの中でマヤズムという考え方を知り、結核で亡くなった曽祖父のパターンがまさに結核マヤズムに関係するようで驚きました。
その他にも、私は癌マヤズムも遺伝的に持っているように思いました。
そして紆余曲折の後、今の派遣先に勤めだして1年が経ったところですが、この会社は今までの過酷な労働を強いられるような環境とは全く異なり、派遣社員の仕事の範疇がはっきり決められたとてもホワイトな環境です。
私は基本的にはこの環境にとても感謝しているのですが、一方で正社員と派遣社員の区別、派遣社員に求められている働き方を理解するようになりました。
それは、派遣社員はどんなに会社や社員の方と馴染んで同じように仕事しているつもりであっても外部の人間であり、一定以上の仕事を任せてもらえることはなく、将来的に長く働き続けられる立場ではないということです。
だから、他の社員の方に比べて時間を持て余すことも多く、様々な情報も入ってこないため次第に疎外感を感じながら働くようになりました。
このブログでは、派遣社員の働き方の是非については言及しませんが、今まで居心地の良いこの職場で何となくもやもやしていた気持ちを抱き続けてきたことは確かです。
そこで、何か突破口を見つけたくて、今回部署長の方と面談の時間を取っていただくことになりました。
昨年入社直後に乳がんの検査結果が分かったため、部署長の方には、初めから私が病気を患っていることを伝えていました。
直接お話するのはそれ以来のことでしたが、開口一番普段の仕事が忙しすぎないか、無理している環境で仕事していないか心配してくださいました。
実は夏の間急に忙しくなって、数か月の期間限定で、前職並みに忙しい環境で毎日残業しながら働いていたのです。そのことを陰ながら気にかけてくださっていたのでした。
今年の夏それまで平和な環境で働いていた私に忙しすぎる毎日が再来したとき、自分の中で働きすぎる環境を求めていた気持ちが依然残っていて、この状況を引き寄せてしまったのかとショックを受けていました。
そして、この働き方をしていたら病気の方にも悪影響がないかと心配になり、健康管理を徹底し、他の方にも助けを求めることで何とか乗り切りました。
けれども不思議なもので、始めは忙しすぎる状況に疲弊していたけれど、いつの間にかその環境がまた心地よくなり、業務が完全に終わった時、大きな虚無感を感じていました。
きっと忙しすぎる時、人は仕事以外を考えなくてよくなり、アドレナリンがたくさん放出されて、忙しい状況に酔ってしまうのだと思います。
そしてまた元のような時間を持て余す日常に戻った時、私は何となく充実感を感じられず何もしていない時間が耐えられず、何かしようとまた必要以上に頑張ろうとしていることに気付いていました。
けれども、部署長の方が、ここまで残業が必要になってしまったその業務依頼の仕方(ボリュームや期限、求められるレベル)が適切だったか考える余地があったかもしれないとおっしゃってくださったとき、こんな風に私の体調を心配して働きすぎないよう考えてくださる方は初めてかもしれないとうれしく思いました。
そして部署内の下働き的な存在ともいえる派遣社員という立場上、常日頃各社員の方から適切な指示や仕事の依頼を受けているか確認してくださり、業務上適切な指示なのかは本来上長が判断すべきものだから、疑問に感じたらいつでも相談してください、と言われました。
振り返ってみると私が今回期間限定で指示を受けた社員の方はものすごく優秀な方で、ものすごくハイレベルの完成度を求める方で、私は残業してでもその方の求める水準に達しようと必死に努力していました。
けれども、本来境界線の問題(社員と派遣社員の立場の違い、派遣社員という契約上の働き方)を考えた時、自分がつい忘れがちな視点=その社員の方に認められたいと頑張りすぎていたのだなと思いました。
今回部署長の方がそれは本当に適切な働き方だったのか懸念を表明され、むしろ、契約範囲内でそんなに頑張りすぎることを求めてはいらっしゃらなかったのかもしれない、と気づいた時、働きすぎなくても私は今のままで十分なのだと、うれしい発見がありました。
長くなりましたが、私が今回の件で、お伝えしたかった点は2つあります。
1つは、派遣社員という立場で様々に振り回されて働かざるを得ない環境にある方へ、もし自分の抱えられる範囲を超えて無理を強いられていると感じたら、頑張りすぎることを選ぶ前にどなたかに相談していただきたいということです。
もちろん、私の部署長の方のように大らかな考え方でなく、そのように働くことを求められてしまうこともありますが、そうだとしたらなおさらその環境で働くことが自分にとって幸せなのか、考える必要があると思います。
もう1つは、つい働きすぎることで自分の価値を高めようとしてしまいがちな方へ、たくさん働くことで自分の価値が高められる、という考え方以外の価値観があることをお伝えしたいです。
本来女性性を持つ女性は行動ではなく、物事を受け入れることで望むものを引き寄せられるような存在だと思います。
けれども、歴史的に女性が虐げられてきた反動からか、いつの間にか男性と同じくらい結果を残したり、たくさん行動することで自分の価値を証明するような考え方になってしまったのかもしれません。
世の中で活躍している女性ほどそのような考え方を持たれることが多いので、同じような働きぶりを女性の部下にも求めてしまいがちかもしれません。
実際、以前派遣切りに遭った会社では、女性上司が私の契約終了を最初に考え始めたきっかけは、私が以前忙しすぎて病気を患ったことがある、と話したことだったと後から伺いました。
けれども、今回男性の部署長の方とお話しする中で、必ずしもがつがつ働くことがよいことではない、という気づきがありました。
私は仕事上では男性的な考え方をするところがあるのですが、ただ働きすぎ、頑張りすぎるだけではない、評価を追い求めるだけではない、大らかな視点での女性としての働き方を考える時期なのだなと思いました。
そして、今はこうするしかない、と思い込んでいるあり方、働き方をもっと楽しく豊かさが満ちる方向に向かって変えていくことができるのではないかと思いました。
現在、自己価値を高め、豊かさにオープンになるためのオリジナルセッションを考案しています。
女性の皆さんの働き方が、もっと喜びをもたらすものになりますように。