前回のブログで、チネイザンのセッションを受けた時の気づきが「ゆるし」であったこと、その気づきに至るまでにかつてセッションを続けて受けていて感情の解放があったことに触れました。
同じ時期に神奈川県の寒川神社に訪れた後、神社の強いパワーにからだが反応し、しばらく疲れを感じていました。その時ふと感じたのも、「私はある人を許せない」という強い気持ちでした。
あぁ、私はこれほどまでに深いところで人を許すことができないほど怒り苦しんでいたんだな、と思いました。
今ガザで戦闘が続いていますが、これも何千年にもわたる恨みの感情から来ています。その激しい感情を当事者と同じように感じることは難しいけれども、私たちも別のレベルで一人一人、何かに怒り、許せないでいることは同じなのかもしれません。
先日新たに陰陽五行の「金」の行のセッションを公開しました。このセッションを考案している間、「金」のキーワードである「自分の価値」について度々振り返っていました。
そして、自分の価値をどうして認められないのか、それはゆるしと関係あるのではないかと考えましたので、今日はその気づきをシェアします。
私がゆるしについて考えるようになったのは、自分が乳がんと宣告されてからです。
昨年秋から冬にかけてさまざまな情報を集める中で、がんを発症する感情的な原因として、恨みや誰かをゆるせない気持ちと関係がありそうなことを知りました。
また、ゆるす対象は他人だけでなく、自分自身でもあることを知りました。
そう気づきがあったものの、誰かを完全にゆるすことはできていなかったようで、今年の夏、人はどんな時もゆるされる存在だということを知りました。
秋になって、NHKの番組「小さい者のひとりとして共に 牧師 西田好子」という、西田さんがキリスト教の牧師としての道を歩むまでのドキュメンタリー番組を見ました。
ご自身が神にゆるされた経験から、罪を重ねた路上生活者の方に寄り添い、彼らが生活し支え合うための基盤を作るために奔走されている姿に感動しました。
誰も引き取り手のいない殺人犯の遺骨を引き取られたことでその名を知られるようになり、そのことには賛否両論があるようですが、罪を犯した人は決してゆるされることはない、という考え方は正義を守るようでいて、私たち自身の心を狭くしてしまうもののように思いました。
また、同じ時期、私は陰陽五行の「金」の行について、新しいセッションを考案するために振り返る時間を過ごしていました。
「金」とは金属のような強さを持つこと、それは自分の価値をどれだけ自分で評価し、守ることができるか、という自尊心や自己肯定感と関係があることを知りました。
そして、適切な自尊心や自己肯定感を持つことは、他人の価値も尊重することにつながることを知りました。
人を傷つけたり攻撃するのは自分の価値を肯定できないからこその行為であること、また、自分が傷ついたり攻撃されるのも、自分の強さを尊重できていないからだということです。
私たちは皆人生のどこかで傷ついたと感じる経験があって、誰かをゆるせないという気持ちも強くあって、それを解放できずにしまいこんでいる結果、自分の価値を正しく感じることができなくなり、傷つけたり傷つけられたりしてしまうのだと思います。
人はみな完璧ではないから、人生のある段階までそのパターンを生きてしまうのも仕方ないことかもしれません。
でもそういう時こそ誰かをゆるす、自分もゆるす、そして人はみなゆるされる存在であることを知る必要があるのだと思います。
ここから、現在の私の状況とゆるしについてつながり、気づきがありました。
今年の春から鼠径部を始めとして足の各部が痛むようになり、恐れの感情など精神的な要因や首肩の緊張と関係がありそうなことを以前書きました。
最近また鼠径部に痛みを感じることがあり、骨盤の痛みについて何か情報がないかと過去の資料をあたってみました。
陰陽五行を基に作られた、シャント先生のオーラソーマビーマーライトペンのコースのテキストを読むと、人のエネルギーパターンは首と肩、腰に現れやすいという内容が書かれていました。
エネルギーパターンとは、家系や育った環境の中で自然に身に付けた思考や感情によって作られるもので、それが自分の成長や何か大きなものを得ようとするときに抵抗になると、エネルギーがブロックされて首や肩、腰に痛みが現れやすいそうです。
私が前に進もうと思う時に大きな抵抗となっているのは、罪悪感、つまり自分に対するゆるしではないかと思いました。
自分をゆるすことができないと、自分の価値を評価することもできず、自分にとって必要なものを手にすることもできません。
数年前、初めてサロンのための部屋を借りることになったとき、こんな記事を書いていました。
あれから数年が経過していますが、いまだこのテーマは続行中のようです。
このように、ゆるしのテーマは壮大で、このセラピーを受けたら解放できる、というような簡単なものではありません。
私にとっていまだこのテーマが続行中であるように、乗り越えるのには年単位で時が必要なこともあると思います。
テーマについて気づき、乗り越えるために、許せない人が人生に現れてチャレンジになるのだと思いますが、一番ゆるさなければいけないのは、他人ではなく自分だということです。
それは罪を赦す、ということではなく、自分が自分であることを受け入れること、自分の価値や尊さを本当の意味で受け入れる、ということなのだと思います。
それによって私たちは、ネガティブな現象にエネルギーを注ぐよりも、自分がより幸せになるために、生きていくことができるのだと思います。
世界各地で戦争が続く中、私たちの一人一人がこのテーマについて少しでも乗り越えられればと思い、今日の記事を綴りました。
最後に、ブレインジムの「クリエイティブビジョン」のテキストから「ゆるし」に関するアファメーションを再掲します。
関連する経絡は心包経、胸の中央にツボがあり、キーワードは絆、つながりです。
- 私は自分の目で他人を非難します⇒(ポジティブ)私は自分の目でゆるし、受け入れます
- 私は目にするものに憤慨しています⇒(ポジティブ)私はゆるしのある世界を見ています
- 私は両親を非難します⇒ (ポジティブ)私は両親をゆるします
- (ポジティブ)私は両親・自然・世界とつながっています
- (ポジティブ)私は自分にひどいことをしたすべての人をゆるします。そして自分の成長には自分で責任を取ります
皆さまにもゆるしとともに、希望の光がもたらされますように。