先週から、デヴィッド・R・ホーキンズ博士著「パワーか、フォースか」(ナチュラルスピリット刊)を読んでいます。
この本は、もともと3月に受けたキネシオロジーのセッションでホーキンズ博士の編み出した「意識のマップ」というのを初めて知り、図書館で予約していました。
前回、自分がネガティブな想念を放っていたことに深く気付いたことを記しましたが、偶然にもそれから間もなく予約の順番が回ってきて、改めて自分の意識のあり方について考える日々です。
故ホーキンズ博士はアメリカの精神科医です。
キネシオロジーの筋反射テストによって人の意識レベルを測定できることを発見し、その指数と対応するキーワードを表した意識のマップを発表して世界的な評価を得ました。
著書によると、人間の思考や感情と、それに基づく行動は「アトラクター」と呼ばれる無意識レベルの普遍的なエネルギーパターンによって支配されているそうで、私たちの人生はそのパターンに沿った状態に固定されています。
パターンを引き寄せているのは個人の思考や態度であり、結果的に同調したエネルギーパターンに支配されてしまうようです。
そして外的世界の捉え方がますます固定化され、エネルギーパターンに従った現実が展開されていきます。
エネルギーレベルは1~1000の数値で測定されます。600までが大多数の人間のレベルであり、それ以上は悟りの境地にある人の状態だそうです。
200がネガティブかポジティブかの閾値であり、200以下のエネルギー状態を「フォース」と呼びます。
具体的には、恥、罪悪感、深い悲しみ、恐怖、怒りなど、いずれも破壊的なレベルです。
「フォース」の状態では、人はマインド(思考、エゴ)に囚われ、自分が生きるだけで精一杯の不安やコントロールに満ちたサバイバル意識で生きています。
この本が最初に出版された1990年代には人類の85%が200以下とされていました。
現在はより高い意識を持つ人が増えているように思われますが、それでも人類の大半はネガティブな意識に囚われています。
これに対して200を超えるポジティブなエネルギー状態を生命を強くする「パワー」と呼び、具体的には、勇気、意欲、受容、愛などがあります。
エネルギーレベルが上がるにつれて、宇宙に無限に存在する豊かさ、自分自身の力を超えた高い意識につながり、委ねることができるようになります。
知覚できる範囲は広がり、様々な能力が生まれ、自由な感覚や幸福感に満たされます。
自尊心や自信、人生に対する楽観性、積極性、創造性が増し、周囲にもたらす影響力も大きくなります。
さらにエネルギーが上がると善悪の二元性を越え、慈愛に満ちたワンネスの境地に至ります。
この状態では「意識」そのものである宇宙につながっていて、望むものが創造されていきます。
私は3月に受けたキネシオロジーのセッションで、調整前のエネルギーレベルが75だと言われました。
200より下のエネルギーパターンの影響下に入ると上のレベルに上がることは難しくなるという悲しい現実があります。
それでも、変わりたいという強い意志を持てば高いエネルギーパターンにつながるチャンスはあると著者は述べています。
本の最後に引用されている自伝には、博士が多くの絶望的な状態の精神科患者の苦悩が終わる姿を見て、『すべての痛みと苦しみは神から生じるのではなく、唯一、自我から生じる』ということを知りました。」と書かれています。
大切なことは、人生に起きている現象は、特定のエネルギーパターンを引き寄せている自分の知覚(出来事に対する自分の解釈、反応や態度)によるものであることを認識し、自分の人生の責任は自分にあると考えること、そして、感じる心を大切にすることと書いてありました。
具体的には、自分自身も含め、生きとし生きるものすべてに対して無条件の優しさ=思いやりを持つことだそうです。
いかなる問題も葛藤の状態も、フォースに基づいた近視眼的な方法では解決できないとされ、例えば病気であれば、「患者は自分自身にも、また他の人々に対しても、思いやりのパワーを呼び起こすまでは、本当の意味で治ったり、根本的に癒されることはありません」と書かれています。
「思いやり」とは深い慈愛(愛と無条件のゆるし)を指しており、例外なしに自分と他人をどこまで思いやれるか、ということだと私はとらえました。
他人や何かを非難することは、自分を非難することにつながります。
自分の思考・態度・視点が変われば、これまで支配されていたエネルギーパターンに影響を受けなくなり、経験する世界も変わってくるのだと感じました。
私はこの本を読んでいるある日、自分がこれまでどれだけ自分を非難していたか、自分を決して許さない鬼のような人物であったことにふと気づきました。
エネルギーレベル30の罪悪感にとらわれてしまうと、結果として罪の意識に支配され、誰に対しても「許さない」という態度をもたらすそうです。
2年前、パワハラに遭い、こんな上司に出会ったことがないと思ったその人物こそが、自分の内面に存在していた鬼のような人物の化身だったのだと、今になって初めて感じました。