「生まれておいで 生きておいで」を鑑賞して、生きている喜びを知る

今日は、銀座メゾンエルメスフォーラムで開催されている、内藤礼さんの個展「生まれておいで 生きておいで」を観に行きました。

 

こちらは、つい先日まで東京国立博物館で開催された同名の展覧会の連携企画で、会期が重なった9月中は両方の会場をシャトルバスで回ることもできたようです。

 

私が博物館での開催を知った時には、すでに入場券は完売でした。

 

それで、銀座エルメスで開催されているこちらの展示がどんなものか、参考程度に見に行っただけでしたが、なかなか見ごたえのある展示でした。

 

内藤礼さんの作品や世界観に触れた最初のきっかけは、昨年の1月、内藤礼さんの個展を訪れる機会があったことでした。

 

 

 

 

その時のタイトルは「すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している」でした。

 

動物が好きな私はタイトルに惹かれてふらりと立ち寄っただけでしたが、その頃ブレインジムの「クリエイティブビジョン」という講座を終了して、目の使い方、空間のとらえ方を意識するようになった私は、空間を感じるとはこういうことなのだと、初めて体験し、驚きを覚えました。

 

今回銀座エルメスの展示スペースに足を踏み入れ、内藤さんの作品に特有の小さな小さな展示物を目にした瞬間、前回の記憶が蘇ってきました。

 

けれども、私の最初の反応は思いがけず前回と同じでした。

 

展示スペースはそれほど広くなく、随所にある展示物をさらっと見て回ったところ、数分で鑑賞は終わってしまったのです。

 

私は「前回と同じようなものが飾ってあるな」と思いながら、展示スペースの端から端を見て上の階に上がりました。

 

上階からはたった今見てきた下の階の展示を見下ろす形になっています。

 

その時初めて、下の階の上方に吊るされていた小さな展示物をいくつも見落としていたことに気付きました。

 

そこで下の階に戻り、1つ1つ展示物の存在を確認していきました。

 

作品リストを広げてみると、国内や各国で集めた石や土や貝や枝などが展示されていることに気付きました。

 

初めに見た時は、石ころが置いてある、細長いものが立てかけてある、など漠然と存在を認識するだけだったのです。

 

また、床の上に花が一輪活けてあり、その前に人が一人座れるくらいの桐の板が置いてありました。

 

初めは板のそばに立って花を見ただけでしたが、説明文をよく見ると板に座ることができると書いてあり、座って花を見てから後ろを振り向いてみるようにと学芸員の方が教えてくださいました。

 

すると、後方の壁に貼られた色のついた紙が目に飛び込んできて、お花畑のようなイメージが湧き上がるように感じました。

 

これも初めは、色のついた紙が貼ってある、としか認識していませんでした。

 

こんな感じで1つ1つ展示物を感じながら見ていくと、展示会場が我が家であるかのような居心地の良さを感じてすっかり長居していました。

 

同じ場所を通るたびに新しい発見があり、壁の上の方に小さく光る展示物に気づいたり、離れて置かれている展示物と展示物につながりを感じたり、なぜそこにその展示物があるのか感じとることができるようになりました。

 

そして、空間全体を作品に仕上げることで「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」と問いかけている内藤礼さんの世界観を感じることができました。

 

生きているということは、こんな風に自然から生まれた小さなものに感動することであり、そのありがたみを感じることができることなのですね。

 

私は普段、今何をすべきか、あれはどうしようかと思考を反芻させるばかりでそこにあるものすら見ていないことが多いのだと思いました。

 

もしくは何かを見ていても、それがある、という認識しかしておらず、そこから何かを感じる、ということはしていませんでした。

 

ここで最近読んだ本を2冊思い出しました。

 

1冊目は、バイロン・ケイティ著「探すのをやめたとき愛は見つかる」で、私はいかに他人に承認されていることを求めていて、自分の存在や感じ方を大事にすること、という視点が抜けていたことに思い至りました。

 

もう1冊は、ブログでもご紹介した、デヴィッド・R・ホーキンズ博士著「パワーか、フォースか」で、自分が経験する現実は自分を取り巻く特定のエネルギーフィールドに大きく影響を受けていることを知りました。

 

エネルギーフィールドに対応する意識レベルを上げていくためには、自分の認識の仕方が重要だと感じ、ここ最近は物事をありのまま見て感じることを意識するようにしていました。

 

それでも私の視点は漠然と外に向いているだけで、目に映るものをじっくり味わい感じることをしていなかったのだな、ということを内藤礼さんの作品を鑑賞しながら思いました。

 

他人に認められるような自分でなくても、日々様々なことに囲まれていることの豊かさや幸せを感じることができるようになったら、自分が生きていることの喜びをもっと深く感じることができるのではないかと思いました。