「嫌われる勇気」を持って前に進む~境界線を引く~

約10年前にベストセラーになった、岸見一郎・古賀史健著「嫌われる勇気」(ダイアモンド社)を読み終えました。

 

9月にフィボナッチ音叉ヒーリングを受けた後、自分の意識が、他人の感情に大きく影響を受けていることに気づき、自分と他人の境界線を持つことが大事だと思ったことを話したところ、読書家の妹が、「課題の分離」をテーマにしているこの本を勧めてくれたからです。

 

フィボナッチ音叉ヒーリングとは、宇宙も地球の自然界もフィボナッチ数列に従って動いている、という考え方を基にして作られた音叉を使用するセッションです。

 

その中でも、水の周波数によって作られた音叉を使ったセッションで、感情と水の関係性から、感情をテーマに受けていたのでした。

 

本日は、「境界線」の視点から、この本のまとめと感想を綴ってみます。

 

私がフィボナッチ音叉ヒーリングを受けることになったきっかけは、こちらに書いた通り、マウントフジフラワーエッセンスのセッションを受けたことでした。

 

この時、人生のある時点から被害者意識が高まり、ネガティブな連鎖を繰り返していた、という気づきがありました。

 

そのことは、以前から何となく認識していたことで新しい発見ではなかったのですが、改めて解説書を読むと、まだ乗り越えていない問題であったことがわかり、自分の中でもやもやした感じが続いていました。

 

音叉のセッションを受けたことで、次のステージに進む自然な流れがやってきたように思います。

 

「嫌われる勇気」の本によると、アドラー心理学では、トラウマの考え方を否定します。

 

たとえ過去にトラウマになるような出来事が起きていたとしても、その経験のとらえ方が、現在の人生を左右する、という考え方をします。

 

つまり、現在の状況が起きているのは、過去に何らかの出来事があったから、という「原因論」ではなく、何らかの目的を達成するために現在の状況が起きている、という「目的論」の考え方を採るのです。

 

その目的が何かというと、実は人生を変えたくない、という目的であり、だからこそ、過去の経験のとらえ方次第で、人は変わることができる、と説いています。

 

もし、人生が不幸の連続だったとしたら、人生のある時点でそういう生き方を無意識的に選んでいるそうで、アドラー心理学によると人は10歳前後で最初の選択をしているそうです。

 

それ以来同じ生き方を続けていたとしても、最初に選んだのは自分であるから、自分の決断次第で今後の人生を変えることができると説いています。

 

慣れ親しんだ生き方は不満があってもある意味では楽です。だからこそ、「幸せになる勇気」を持って前に進むことを決断することが大切だと書かれています。

 

では、前に進むことで、自分が幸せになろうと決断することで、何が問題になるのでしょうか。

 

本には、主に対人関係の悩み、具体的には、承認欲求の問題があると書かれています。

 

自分の価値は他人に承認されることだととらえると、他人から否定されることが恐ろしくなり、自分の人生を歩むことが難しくなります。

 

他人は仲間ではなく承認者、または、敵や競争相手となり、他人の存在によって自分の存在価値が脅かされてしまうようになります。


そして、他人の期待や感情に応えようとすることにより、他人の人生を生き、人生を重苦しくしてしまいます。

 

そこでアドラー心理学では「課題の分離」、つまり自分と他人との間に境界線を引く、という考え方を提唱します。

 

自分と他人の課題を分離し、他人の課題には踏み込まず、自分の課題には踏み込ませなければ、人生はよりシンプルで軽いものになります。

 

自分の課題とは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」であり、その選択について他人がどんな評価を下すかは、他人の課題であるということです。

 

けれど人は他人に認められないこと、嫌われることを恐れているからこそ、人生を複雑に考え、変わることができなくなります。

 

ここで、他人に認められないかもしれないコストを払ってでも自分の人生を生きると決断すると、人は自由の感覚を得ます。

 

この時初めて他人は仲間であり、自分と他人は1つの共同体に存在する、というつながりを感じられるようになります。

 

アドラーの指す「共同体」とは、過去から未来の時間軸、動植物や無生物を含む生物など、時空を超えたあらゆるものが含まれています。

 

自分がこの広い共同体に存在する理由は、他人に承認されているからではない、と理解したときに初めて、「自分はただそこに存在しているだけで価値がある」と感じることができるようです。

 

そして、自分に価値があると思えた時に、一歩を踏み出す勇気が持てると書かれています。

 

一歩踏み出す中で、たとえ誰かに嫌われても、裏切られても、不愉快な思いをしても、それは他人の課題であるととらえていきます。

 

そして、過去にも未来にもとらわれず、特別な存在になろうと意識せず、ただ「今、ここ」を生きていきます。

 

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アドラー心理学を理解して生き方を変えられるようになるには、読み始めた時の年齢の半分の年数が必要だそうです。

 

私もこの本を出版当時に読んだ記憶がありますが、この時はそれほど深く理解しておらず、今回読んでみて、これは心理学というより、スピリチュアルな視点に近いと感じました。

 

自分のことを振り返った時、確かに人生でネガティブな連鎖を繰り返して悲しい思いをしても、潜在意識の中ではあの人のせいで、あの出来事のせいで、と思うだけで、本質的には何も変えようとは思っていなかったかもしれません。

 

人に認められてこそ自分の価値がある、という価値観から脱却できると、世の中は仲間に恵まれ喜びに満ちている、ということを感じられて、新しい世界に踏み出すことがわくわくするようになるのかもしれないと思いました。

 

最後に、陰陽五行の観点から過去に記したブログをご紹介します。

 

アドラーの指す「共同体」とは陰陽五行の思想に近いのかもしれません。

 

陰陽五行の考え方によると、人もまた自然界の一員であり、自然界につながることで、自然界から育まれていきます。

 

人が人の価値を決める、という狭い価値観から、この世界に存在するだけで尊い存在である、という世界観に移行していきたいと思いました。

 

①心包経:ゆるすこと、ゆるされること、人とつながること

 

 

②肺経:境界線を持つこと、自分の価値とは?